Archive for the ‘kiss’ Category
きみのもしもし #230
きみが傘をさしてぼくの前を歩く。
連れて行きたいところがあるのだと、小学校の引率の先生みたいにときどきぼくの方を振り返りながら、
ぼくの前を歩く。
歩道はひとり分の幅だし、車道はそれなりに車の行き来がある。
雨の中、後ろから見てもきみはとても自慢げに歩いているように見える。
そのせいだろうか、長靴を履いたきみは水たまりをものともしない。
ぼくはと言うと、水たまりはすべて避けて歩かなくてはいけない。
すると少しずつきみに遅れを取ってしまう。
振り返るきみがひとこと、
「もしもーし、早く早く、こっちこっち」
わかってるんだけどね。
ぼくは水たまりをひょいと飛び越えてみせた。
きみのもしもし #229
「だからね、珈琲をポットに入れて持っていくの」
これから出かけるお花見の用意のひとつらしい。
ぼくはワインでも買って行くものとばかり思っていた。
だからワインオープナーと割れづらいフランス製雑貨のガラスのコップをバックに入れていた。
「もちろん、あなたの準備はそれでいいのよ」
きみはニコニコしている。
「パンとおつまみも途中で買うでしょ」
そのつもりだけど。だってお花見じゃん。
「ワインに飽きたらわたしのいれた珈琲を飲みたくなるでしょ。ね、もしもし、飲みたくなるよね。そうでしょ」
確かに、きみはこのところ珈琲をとっても美味しくいれるようになったよね。
でもさ、そんなに迫ってこなくてもいいんだよ。
きみの珈琲、好きだからさ。大好きだから。
きみのもしもし #228
「まだ少しだけ肌寒いけど、午後にはお散歩日和だね」
きみは新しい仕事先も決まり、安心半分、不安半分なのかな。
テレビも着けず、音楽もかけず、窓を開け空を見上げている。
今朝は不思議と車の音も聞こえない。耳を澄ますと鳥のさえずりが届く。
「新入社員でもないのにね」
ぺろりと舌を出すきみがいる。
まぁ新年度ってそんなもんじゃないか、とぼくはちらりときみを見る。
「もしもし」
「ん、どした」
「写真撮って。新しいわたしになるんだ。記念じゃなくってその記憶にするから」
ぼくは頷いて、カメラの準備をする。
窓際に立ち、少しだけ逆光の中できみはポーズを考え始めた。
きみのもしもし #227
終電間近の帰り道、ぼくの行きつけのバーでほんのりと頬を赤くしたきみがいる。
春はもうそこまで来ていると言うのに、夜風は相変わらずぼくらにマフラーを要求する。
「寒くないか?」
「大丈夫っ」
寒さのインジケーターのきみの鼻先は、確かにまだ赤くない。
きみは手袋をした手を見せながら、何枚重ね着をしているかを教えてくれる。
「自分が寒いんでしょ。春が近いと思って少し薄いコートにしたんじゃないの」
そうでもないんだけど、きみはぼくを暖めようと腕を絡ませ身体をぴったりくっつけてくる。
悪くはないな。
そして他愛のない会話がはずむ。
「もしもし」
立ち止まるきみ。
「今夜はどちらにお帰りですか」
少しだけ鼻先が赤くなったきみが、上目遣いにぼくを見つめる。
きみのもしもし #226
ーけっこう遠いんだな。
自分に言い聞かせるように、きみにメールしてみる。
飛行機から降りて、ローカル電車を2本乗り継ぐ。
昔はもっと便が良かった気がする。気のせいかな。
車窓からは懐かしい連山が見える。
何も変わっちゃいないとばかりに、どっしりと構えている。
ーもしもし。
えっ、きみは今、仕事中のはず。
ーいってらっしゃい。楽しんで来なね。魂のお洗濯。
数時間前、フライト待ちの空港できみから届いたメールが、声となって聞こえて来た。
そんな気がした。
ちょっとした帰省。なかなか帰らないぼくへのきみの後押し。
差し込む日射しが少しだけ眩しかった。