雑貨屋のテーブル
雑貨屋の奥には休憩スペースがあった。輸入物のステーショナリーが置いてある棚に沿って12歩進むと、右手の奥に入口からでは目につかないその場所にたどり着く。12歩、それは涼子の歩数であり、決して祐二の歩数ではなかった。
会社のデスク用に使い勝手のよさそうな小物を探していた涼子は、無意識のうちにその歩数を刻んでいた。休息スペースのテーブルにはガラス越しの冬の陽射し、その暖かそうな陽射しはテーブルに置かれている小さなグリーンを優しく包んでいた。
涼子にはそのグリーンが光を存分に吸収しようと目一杯6枚の葉を広げているように見える。
12歩を数えてみたのは1年前の涼子。祐二は涼子にせがまれて歩数を確認してみたが、笑いながら、そんなにかからないよ、と涼子とならんでそのテーブルについた。12歩の会話でその日は終始し、互いに笑いあえる笑顔があった。そのときもテープルにはグリーンが置いてあった気もする、今の涼子はそれさえ鮮明に思い出すことができない。
数カ月前、このテーブルから店内の雑貨を背景に涼子は祐二に写真を撮ってもらった。
「ねぇ、写真撮ってもいいかな」と祐二。
「撮りたいんでしょ」
「まぁね」
祐二が持ち歩くカメラ、祐二が向けるレンズ、そして控えめなシャッター音。涼子はどれも好きだった。それにもまして好きだったのは、そのときの祐二のはにかんだ顔、どれだけ撮らせてあげてもはにかんで聞いてくる。
「ねぇ撮っていい」
サービスで一杯だけ飲めるこの雑貨屋のコーヒー。それほど客が入っているわけでもなく、このテーブルに腰掛けている客の姿も見たことがない。涼子がこの店に来るときは必ず空いているテーブル、ほっと一息つける、通りの雑音も届かない、時間が独立している。涼子の好きな場所だった。独特の苦味のあるコーヒーも好きだった、サービスは一杯だけ、お替わりはなし、料金無料、セルフサービス、でも美味しかった。
この場所のことに思いを巡らせると必ず祐二の笑顔が重なる。祐二ははじめて入ったこの雑貨屋でフォトフレームを買ってくれた。
「どうするの」
「どうにでも」
「じゃあ祐二が撮った写真を飾るね」
「涼子の顔ばかりだよ、おすまし顔、真剣な顔」
「わたしは街の風景がいいな」
微笑ながらうなずく祐二の顔が陽射しの中に浮かんだ。
そんな祐二の顔を思い出していると、涼子の携帯電話にメール着信を知らせるランプが光った。
「写真があがってきた。見せたいんだけど、今、どこにいるのかな」
祐二からの短いメール。タイトルは「写真」。涼子は冷めかけたコーヒーに口をつけると祐二からのメールを削除した。
「コーヒーのお替わりはどうですか」
「ええ、でも、いいんですか」
「気持ちが落ち着くまでいいですよ」
女性の店主が静かにコーヒーを注いでくれた。はじめてのことだった。
「大丈夫ですよ、笑顔を忘れなければきっとうまくいきますから」
涼子が店主の言葉に驚いて顔を上げると、彼女はゆっくりうなずいてレジの方へ戻って行った。
暖かいコーヒー、不思議な言葉、柔らかい陽射し。涼子はテーブルのグリーンを少し引き寄せると、自分に言い聞かせるように話しかけた。
「このコーヒー飲み終えるまでにもう一回、祐二からメールが来たら、、、」
そのとき光った携帯電話の着信ランプは陽射しに包まれ、涼子はまだそれに気づかず2杯目のコーヒーに口をつけた。
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